京都エッセイ

京都を想う



-1- 2021.6.23

京都学という学問ジャンルがあるのか、その道の専門ではないので詳しいことはわかりませんが、京都という処は、日本のお臍みたいな気がします。794年に今ある京都の地が都、つまり天皇が住む処として決められるところから始まるわけですが、それに先立つ奈良、飛鳥、京都の後の東京、と一連の天皇が住む処としての「みやこ」のことを学問として取り上げる、その京都の部分が京都学という括りでいいのかと、いま思うところです。今2021年6月で、コロナウイルスの蔓延で、京都へ参じて来る人たちが、暗に来れないよう制限されているので、街の中、閑散としている。ぼくは京都生まれ、京都育ち、今年年齢75歳、どっぷり京都人、おもいしや、京都の真ん中からは外れていて、文化的に見れば縁にいる、部外者でもなく、部内者でもない、そんな位置にいると考えている輩です。

京都といえば色恋なしでは語れないと思っていますが、特別に研究しているわけではなく、京都学の一角、といっても一角にはならないくらいの位置です。源氏物語があるじゃないですか。紫式部が藤原道長の庇護をうけて書いた、ともとれる源氏物語です。ぼくは、源氏物語が京都を語るには、イントロ、導入部としてはいいのではないかと考えています。でも、ぼくが源氏物語のことをどれだけ知っているのか、客観的知識のことですが、知っているのはイメージだけで、ええ、紫式部の墓所を知ってるよ、といえるけれど、それも先人の研究の賜物で、雲林院の南うんぬんという記述から、そこではないかと推測して墓所になっている、そこでは小野篁の墓と隣り合わせです。ここ十数年、暇を見つけてはカメラを携え街歩きして、立札の説明書きを読んだりして独学しているところです。

もう10年ほど前にもなりますが、立命館大学の京都文化講座というのが開講されて、ぼくは卒業生でもあったので案内をもらって、参加して、講義を受けて、ああ、京都学というのがあるんだ、と理解したわけです。その講座のなかではうけていないのですが、象徴的にいえば、天皇制、という日本の制度を抜きにして京都は語れないと思っています。これは、先人、東松照明の分析というか京都イメージだと思っています。東松照明が沖縄からバリを見据えて太陽の鉛筆を表したのち、イメージの内に立ち昇ってきたのが「京都」だったとぼくは解釈していて、前半の集大成として京都が撮られたのだと考えていますが、身体のアクシデントもあり、道半ばで京都取材が終わって未完です。それを受けているとぼくは明かしますが、京都生まれの京都人がマージナリーな立場であれ、京都を語ろうと考えているわけです。



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最新更新日 2021.7.4