京都エッセイ
         北野天満宮と西陣京極

                      
中川繁夫

    
        
本法寺のさくら 2011.4.13

2010.12.10〜
ぼくが京都に生まれて住んで、64年が過ぎます。
生まれは1946年、昭和21年4月です。
それから不在にした時期もあるけれど、おおむねこの地にいます。
この写真集<京都>の主な撮影地は、ぼくが生まれて育った地域が主体です。

撮影の現場は、おおむねぼくの記憶に残る場所です。
子供のころの記憶でよみがえる場のひとつに、北野天満宮があり、その縁日があります。
それから西陣京極、千本通りの中立売から今出川にかけての繁華街。

毎月25日は、北野天満宮の縁日
下の森から参道の両側に露店が並びます。
小学生のころには、25日の夜は、父母弟とぼく、四人の家族で、天満宮の縁日へ行き、千本中立売へ出て、そこから北へあがって今出川。千本今出川から自宅へ帰ってきます。
ぼくの家がこの天満宮の北、徒歩5分ほどの場所にあるから、いつも裏からの参拝です。
御賽銭をあげたかどうかの記憶はないが、本殿の前で拝み、それから露店の並んだ参道を下っていくのでした。
裸電球の灯ったテント張りの露店には、大人も子供も興味ひく商品が並んでいます。

食べ物の類、夏には半月状に切ったスイカ、冬にはべた焼き、今でいうお好み焼き、一銭洋食、おもひで焼、それをべた焼きと呼んでいました。
それらを、父母と行ったときに買って食べた記憶はありません。
家族で行く縁日の夜は、下の森から千本へ出て、そこの食堂とかで食べます。今でゆう家族そろってファミレスで、食べるってことでしょう。

西陣京極の入口にあったマリヤって名の喫茶店(現在は千本中立売下がるに移転)で、父はぜんざいを食べていました。ぼくはホットケーキ、丸い二枚重ねにバターと蜂蜜、それです。母は何を食べてたのか、弟は何を食べていたのか。
洋食の店はスター食堂。スター食堂のAランチ、Bランチ、どっちを食べたか忘れたけれど、フライとハムとハンバーグの三点セット。豪華メニュー。
そうか、このスター食堂へは、母に連れていってもらった。父は和食系だったからか。



小学校の上級生になるころには、毎月25日になると、ともだちと一緒に北野天満宮の縁日に遊んだものです。
中学生になると、ひとりでも西陣京極へ行ったことが、まま思い出されます。

そこまでですね、高校生になると、繁華街では千本ではなくて河原町へいくことになります。

このように書きあげてくると、小学生から中学生の間、年代にして1950年代半ばから1960年代初めまで、年号で言うと昭和27年ごろから昭和37年ごろ、ということになります。







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最新更新日 2020.12.2