京都エッセイ
          京都イメージについて

                     
中川繁夫

    
         
下鴨神社 2011.7.24

2014.6.7
2007年から、京都のイメージを追いながら写真を撮りだしてあしかけ8年になろうとしています。最近の3年間は、意識しながらもイメージを昇華させて、写真とは何かといった問題も孕ませながら、写真を撮っているようにも思っています。
京都をとらえるには、先輩諸氏が残された写真イメージがあり、それらを見ることによって、京都のイメージが作られていると思います。その京都イメージが、ぼくの場合だと生活実感にそぐっているかといえば、形式による構成美とでもいえばよいでしょうか、あまり実感としてはしっくりしないのです。
としたら、どのような写真が、生活実感のある洛中洛外図になるのかと問うわけです。やっぱり人が必要、とはいってもなかなか日常生活を撮るというのは難しくて、街中、神社仏閣でのスナップとなってしまう。このスナップの羅列でどこまでの深化があるのだろうかと、疑問に思って撮影をやめている時期もあり、街中での迷惑行為のなかに写真盗撮というのもあって、困惑してしまう昨今です。

    
        
祇園界隈 2014.6.3

2012.5.5
京都とは何か、そのイメージ世界において、ぼくは作業をしている。
カメラを持って、京都地域に見た光景、風景を定着させている。
2007年からはじめて現在2012年5月だ。開始から5年が過ぎた。
この間に撮った写真、静止画の世界を、どのようにまとめるか。
このまとめ方に苦慮している。
そこで数年前から、過去の京都をまとめた絵図を参考として、アレンジしようと考えている。

京都を見るイメージの体系に、洛中洛外図がある。
京都の神社仏閣、人々の暮らしぶり、そういった様相が描かれた図である。
これが、どうもこの写真集には、似合っているようだ。
されば、21世紀洛中洛外図、カメラによって描かれるから「光絵」。
そこでぼくはこの写真集に枠組みを与えて<21世紀洛中洛外光絵図>と名づけた。


2011.6.19
「雅」とはなにか。
立命館大の島田先生の論文、日本画にみる京の雅。文献まとめ。

雅との関わり語「都」は、「宮処」の意。皇居のある所、首都、政治、経済、文化の中心。
「宮」は神社のことをいう「宮」と基底は同じで、皇居を指して「宮」といったようだ。
宮風であること、宮びていること、みやび、雅、このような意味が含まれている。
白川静。「みや」は本来は神霊の居るところで、「みやこ」は「みや」がすでに皇室の意となった後の語である。という説明がある。
反対語として「鄙」、。
都鄙(とひ)」は、都会と田舎、古代社会における天皇の存在が重要な意味を持つ。

2010.11.3
京都という場所は、かって日本国の都、天皇が住まっていた場所。
天皇という存在について、歴史的に文化的に、興味があります。
天皇制の良否については、ここでは述べません。
かってひところ最近まで、ぼくは否定論的立場をとっていました。
でも、還暦をこえ、老体の域にはいってきて、それはどうでもいい話。
むしろ、そうゆうことをイメージして、文化を表出する。

なにも天皇というイメージをつくる思いはないんです。
しかし、この国の歴史を背景に、写真という静止画を羅列してイメージを生成させるなんて魂胆が、有効かどうかは問わぬとして、あるんです。
ぼくの存在、社会的な存在としての自分。
その自分検証、自分とは何か。
自分を客観的に、主観的に、交わらせてみて、作品とする。

いろいろ思いを巡らせたところで、それがいったいなんなのか。
パソコンとゆう道具を使い、デジタルカメラという道具を使い、インターネットにのせて、表へ出していくという遊び。
これは、遊び、玩具で遊ぶ子供、それに知識が加わるから、たちがわるい。

京都のイメージといっても、かいもくわからないというのが本音です。
見なれた光景を、組み直し、新たな光景になれば、ベターです。
記憶の像と記録の像、過去と現在、ぼくのなかでは複層ですが、どうなんでしょう、見る人は、そうではないですね。
見る人の過去と現在にゆだねて、京都という地域のなかにある名所旧跡、それに今の様態、その綜合で、感情の部分にも迫りたい。

公家文化は女文化、そのように感じています。
源氏物語、祇園、上七軒といった花街、五番町は遊郭、いやはや、男と女の話、そうゆう観点からも、京都イメージが作れるのかも。


2010.10.10
京都とはなにか京都イメージとはなにか。
京都という言葉、それに地域、場所。
この地域、場所を表象するイメージについて。
つまり、京都イメージについて、あれこれと論を立てたいと思う。

京都をどのようにイメージするか、ぼくは京都生まれで京都育ち。
京都の地域を風土として育ってきた京都人。
なのに、なにもわかっていない。
なにかしら、朦朧としたイメージしか湧いてこない。

たとえば、川端康成原作による「古都」って映画を思い出す。
沢口靖子って俳優さん、その映画を映画館ではなくてテレビで見た。
その映画を見たのが、いつのころだったか、10年前かも知れない。
きれいな京都イメージが、そこには漂っていると思いだされる。

文学における京都。
文字・文章でイメージをつくりあげる小説とかエッセイとか。
現場を撮った写真、映像、それの集積。
相当な量の京都についての原資料を最近意識しだした。

京都学って、言葉を聞いて、立命館大学の京都文化講座を受けだし。
そこで、京都の写真集をつくろうと思っている自分を考える。
このページは、その講座の影響で、作り、書き出した。
このような経緯を綴っておいて、まま、書きとめていく予定です。




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最新更新日 2020.12.2