中川繁夫HP
写真集 山の生活物語

2013.2.18 最新更新日2018.11.24

  
     ほうせんか

  
     のぎく

  
     とらのお

  
     ほととぎす


   
山と都会の生活」レポート
    2004年1月20日〜2004年12月28日
          by nakagawa shigeo


2004.12.28(火)
今年もあと数日となりました。多くの変化があった年といえるかもしれない転機の年。
このレポートを付け出したころ、今年の1月20日ですが、その頃というのは、大阪の写真学校で次の展開を考えていて、それに伴う広報手段としてHPを作り出した。その企画が頓挫して、京都で新たに写真学校を作るという作業に着手しながら、HPを拡大してきました。blogというHPが多くなってきて、この手法に興味を持ったぼくは、ひとつ一つと増やしきて、現在18+2、全部で20のブログを操作していることになります。こうして毎日記事を書くというのも、日課となってきたんですが、これに埋没してしまわないようにしないといけないな〜と思うところです。
来年は2005年、ぼくの年齢も59となる。この1年間やってきたことの延長で、内容充実の年にしていきたいと思います。

2004.11.22(月)
最近の生活態度ったらパソコンの前に座りっぱなしという日が多くなりました。
というのも、むくむく新聞なる枠をつくって、そこにブログが16個も作ってしまったからなんです。
まあね、自分の能力へのチャレンジということもあるし、いま、この時期だからできる、という切迫感みたいなもんもあって、やってるんです。
でも、16個のブログにHPメンテを1日で一巡するには、時間とぼくの能力の限界を超えてるのでしょうね。
それに文学というか小説を書き出したんです。エロス中心に3編を連載しはじめたんです。これもけっこう時間がかかります。
写真学校も京都で写真ワークショップ京都のセミナーが始まったし、農塾へも行ってお百姓やりだしたし、多忙といえば多忙。もっと時間にゆとりをもって思索にふける!ということも思いますが、どうもぼくは現場主義なんでしょうね。

2004.10.25(月)
パソコンでインターネットにつないで、このHP綜合文化研究所をてがけだして1年がたちました。
何回かのリニューアルを繰り返しながら、4つのHPと4つのコミュニティと12のブログとその他、ネットワークして、あい写真学校と写真ワークショップ京都を立ち上げ、あい文学校を立ち上げ、京都農塾の体験をあい農学校としてまとめていこうとの基本形が出来上がりました。なんか切羽詰ったような感じもありながらの作業でした。
最初のフリースクール構想から3年。その当時3年間でなんとか社会的に流通する形を・・・との話をしましたね。そのお約束を守るために、自分へのチャレンジでもあったわけです。
昨日、第1回目の写真WA京都のセミナーを開催しました。写真評論&制作、文章を書く文学・小説。振り返ってみて、これでいいのかな〜。気分的にはちょっと鬱です。
なにか生きてることの充実を、なんて公言していますけれど、これは自分への言い聞かせでもあるわけです。

2004.9.30(木)
9月末日となりました。一日が早く過ぎていきます。書斎にパソコンが入って1年が過ぎたんです。この1年間ですっかりネット派になりました。写真を再度撮り出してからも1年。この1年はかなり精力的に仕事をしてきたな〜とも思います。ただし収入がほとんどありません。
十三の写真学校も今年一杯で休止します。京都で再び、・DOTの岡田さん組んで「写真ワークショップ京都」を始めます。里博文さんが参加し、石川大英さんが参加して、4人のメンバーでやっていきます。フォトハウス京都の再編です。多忙な日々なのは、ネットワークの作業で、ホームページが4つ、コミュニティHPが4つ、ブログが12箇所と一気に拡大させてきたからです。自分への挑戦なんです。
ブログに記事をアップし、写真学校を主宰するというのを仕事にしていきますが、文学にも手がけだしたので、これも合体させての仕事です。

2004.9.17(金)
ぼくの近況です。もう9月17日、このページには2ヶ月のご無沙汰になってしまいました。
夏前からblog、つまり日々、記事を掲載していくHPを中心にしてきました。頭の中には、WEB上で何ができるか、という命題をもって実行しているところなんです。管理するblogが10箇所になってしまいました。これは意図的にここまで拡げたんです。自分の可能性へのチャレンジと思っています。
頭の中の構想を、直接に展開中のHP&blogへ織り込んでいく作業です。全体の統制は取れていませんが、書き撮りした文章と写真での展開なんです。
大きくは、綜合文化研究、写真学校、むくむく通信の3本立てが軸になっていて、それにぼくの自伝をかぶせていくというような手法です。文学、農業へのチャレンジもあります。写真、文学、農作業の3本立てで自分を創っていく全体発信です。そのなかに、パンつくり、野菜つくり、生活イメージつくり、生き方の方向示唆、というように展開を目論んでいます。
これらの全体を構成するものとしてのツールがヴァーチャル領域、HPやblogツールです。それと現場をつなぐことが次の課題ですね。写真、農作業については現場が出来てきています。文学サークルを8月1日に立ち上げましたが、まだ機能していくのはこれからです。・・・というように、ぼくの新たなチャレンジが始まってしまいました。

2004.7.25(日)
暑い毎日が続いています。ご無沙汰していますこのレポートです。
多忙といえば多忙な毎日です。京都農塾への参加やホームページ作りで手を広げすぎてる感もあります。
京都農塾は京都ナチュラル・ファームが主催している野菜栽培教室です。
綜合文化研究所の基底をなしている部分に「あい実践学校」構想があって、その農的生産部門の学校「あい農学校」の必要性を強く感じていたんですが、その学校の想いを満たす学校として「京都農塾」を捉えています。
新しく農学校を創らなくても、京都農塾との提携で綜合文化研究所の構想が実現に近づいてきています。
あい農学校のHPを立ち上げて、日録記事を発信しています。その話題は京都農塾が中心です。それと考え方捉え方のプロパガンダーですね。一歩ずつそちらの方へ傾斜してきています。

2004.6.22(火)
昨日は台風が通過で雨と風でしたけれど今日はとてもいい天気になりました。
相変わらずパソコンに向かってホームページ作成をしています。あい写真学校に生徒さんが入学しました。
ぼくの方は生徒入学をまだ先のことと思って、テキスト準備とかを置き去りにしていました。でもいま、精力的にテキストを書こうと思っています。
むくむく通信社を立ち上げてむくむく通信を発行していきます。かって映像情報終刊から20年がたってしまいました。あの頃ってまだワープロが無かった時代でした。いまホームページ上での展開になっています。時代の変わり方というか発信手段の変遷というか、いい悪い抜きにして様変わりですね。
写真学校をあたらしく創る「写真ワークショップ京都」。通信と通学で総合的に学べる写真学校。フォトハウスワークショップから20年がたって、新たな展開です。
こんなふうに一気に多忙を引き受けてしまいました。悩んでなんかいません。どこまでやれるかチャレンジだっていう気持のほうが強いですね。

2004.6.6(日)
日々の過ぎるのが早い、昨日四条大橋のドトール珈琲で戸澤夫婦とお会いしました。なにかお店を始めたいという話で大阪からきてくれました。お商売も難しいですよね。もう3年前になるんですね、彩都メディア図書館にショップ開店させたの・・・。どうだったんかな〜売れた?だめだったですよね。
食べ物ベースにカフェスペースを作って学校機能やイベント空間機能をつける、これなら結構可能な形ですね。ぼくの企画がそのまま使えるとは思ってないけど、ヒントにはなりますね。

写真ワークショップ京都の立ち上げを計画しています。DOTの岡田さん、20年前のフォトハウス、今日は朝からフォトハウス京都のHPでゾーンシステム講座の紹介なんかのページを作っていました。
全体として綜合文化研究所の枠で、むくむく通信社ってこれは映像情報編集室の焼き直しですね(笑)ぼく自身があれからいろいろ経験してきてもう58歳になってしまって、最後の集大成としての企画です。時代がデジタル化して情報発信が即リアルタイムでできるようになってきました。ネットワークもパソコンネットワークです。もう紙媒体を使うなんてできないです。紙だとお金もかかるしね。

京都自給ネットワークの会員になってなにか新しいネットワークができそうな気がしています。農塾にも参加したし、いよいよ食べ物の領域への参入が始まってきたように思っています。節目の年になりそうです。

2004.5.22(土)
以前が徐々に終わってこれからが徐々に始まっていきます。
株式会社インターメディウム研究所が17日の臨時株主総会で解散決議との通知をクロネコメール便にて受けました。十三の写真学校での仕事も今年いっぱいゼミを受け持つのだけの契約となりました。フリー宣言から2年が経ってようやく過去がふっきれていくところですね。
あらたな挑戦はあい写真学校と写真ワークショップ京都の組み合わせ、農塾に通って農業のノウハウを得ることとその展開にむけていくことが始まるのです。今日はそういう日でした。国際政治では北朝鮮へ小泉首相が訪問し拉致家族のうち5人が帰国する、今丁度飛行機の中とのTVニュースです。

2004.5.21(金)
写真ワークショップ京都の企画をつくっています。DOTのスペースを使って通学制写真学校の立ち上げです。
通信制と通学制の両サイドからの立体的な枠組みです。カリキュラムも並列で学べるように組み立てていきます。
デジタル時代の学校の枠組みでカリキュラムもフィルムとデジタルの同時進行させますが、デジタル写真はまだはじまったばかりの領域。ここで新しい展開の方法を導きだしていきたいと思っています。
写真がデジタルでヴァーチャルになっていくのと同時に、身体を使う作業、農作業などとの一体化をめざしていきます。京都農塾の生徒に応募しました。5月29日から塾が始まります。ここからなにか新しいことが起こってきそうです。綜合文化研究所という名称やフォトハウスという名称に違和感なく口出せるようになりました。

2004.5.10(月)
なにかとバタバタしながら時間が過ぎていくという感じ。この綜合文化研究所一連の企画をどのように実践につなげていくか、というのが次の課題です。
この企画の中に「農」についての領域がかなりの比重を占めています。そのなかをどう実現するのかの具体策として自分がある程度やるしかないんです。という考えで「京都農塾」が第二期生を募集しているので受講しようと思っています。申込みをメールで済ませたところです。今年一年は生徒でいろいろ教えてもらいながら、現場のことを知っていきたいと思います。
今日、夕方から写真学校の来年のためのミーティングがおこなわれるのですが、このことも考慮にいれて写真学校の方は対応しようと思っています。すべて元に戻すことも考えながら、IMIも会社解散することだし、いい機会だと思っています。新しい軸で展開していけばいいんです。京都で写真塾・フォトハウス京都を立ち上げていって、全体を融合させるということも考えています。
あい写真学校は実質ゼロスタートですが、この企画がポシャッタわけではない。フォトハウスの最初がそうであったように、近々に立ち上がってくることになる。大阪の展開が終わっていくのだから、これはステージ交代ということだと思います。フォトハウス京都・むくむく通信社・むくむく通信の一連の構想がHP上に作ってしまっているので、これはもう実現フレームとして捉えています。

2004.4.28(水)
綜合文化研究所の設立日であり「あい写真学校」の開校日あった本日4月28日は、osibeの誕生日であり結婚記念日なのであります。生年は1946年、結婚は1970年。そんな記念日の重なった今日、彼女と奈良へ小旅行にでかけました。奈良ホテルにて昼食をとり、奈良国立博物館の法隆寺展をみました。
この国の文化の見直しが急速に進められているようにも感じるこの頃ですが、その中心は宗教のことです。昨年は京都国立博物館の高野山展(いま東京国立博物館で開催中)がありました。宗教はぼくも大きな関心があります。人間の歴史が信仰とともにあったことを理解します。ぼくの関心は特定の宗教ではありません。人間と宗教といわれる領域でのかかわり、その「こころ」のところなのです。宗教と芸術を含めた現文化の行き先をどのようにしていくのか、ということへの関心なのです。写真学校も綜合文化研究所もその関心ごとを抜きにしてはいけないな〜と思っているところです。ともあれ今日、創立記念日を彼女と祝福しました。

2004.4.27(火)
朝からの雨があがっていきました。もう4月も終わりに近づいて日々の過ぎるの早いな〜。
綜合文化研究所&あい写真学校の創立が明日4月28日。予定どうり創立します。HPつくりはまだ中途半端ですが、これは終わりのない循環過程ということで、いつもリニューアルをおこなっていくものとして捉えていけばよい。25日写真学校のゼミも始まった。手元のあい写真学校も始まる。気持としてはそんなにハイなことはない。むしろ最近、憂鬱感が充満しています。なにやってんだこれ?っていう感じでね。ちょっと枠を広げすぎてる、妄想が強すぎる、家族含め理解されてない!そんな環境を思うと、どうしょうかなこれから、っていう思いと沈んでいく気持が宿ってくるのです。やりだす限りはやっていくしかないんだろうな〜と思ってます。のんびりやっていけばいいのや、ね。

2004.4.9(金)
スコーンを焼く。朝からパンの液種を仕込みスコーンを焼きました。
2004.4.8PM9:00というのは昨夜のことです。アルジャジーラ放送局が日本国籍の3人を拘束したとの報道をおこないました。昨夜のNHKそして今朝のテレビはそのことを話題でにぎわっています。3日後までに自衛隊の退去を求めていて捕虜としての3人の拘束なんですね。それが世界の中心となる出来事です。2001.9.11のPM10:05もたまたまぼくはテレビをみました。WTCに2機目が突っ込んだあの瞬間です。その後の最近、日本の派兵がおこなわれて、ぼくのとらえかたは実質の第三次世界大戦、最後の大戦、長期の大戦に突入したと思っております。
ぼくのできることはスコーンを焼くことですし、3日間かけてパンを焼くことしかできないんです。これが2004年4月のぼくの現状なんです。ぼくはいま、おおきな中心となる世界では無意味な無価値なことをやっています。おんながちょっとハイセンスに自分をつくるといったようにイメージ化される行為を、おとこであるぼくがやっていいる。たったひとりの叛乱、っていう表現を20年前に公言いたしました。いまは叛乱じゃなくて抵抗ですね(笑)ベルメールが人形を作っていたようにぼくはパンとスコーンをつくる。パンとスコーンはお腹のなかに入って消えていくもの、だから写真に撮ってあげるんです。抵抗の痕跡として・・・ね。

2004.3.28
1969.10.21,「いちきゅうろくきゅうじゅってんにいち」最近なにか呪文のようにふっとよみがえってくる言葉なんです。判るひとには判る暗号のようなものだと思いますが、これはなにかというと国際反戦デーの新宿騒乱だった日のことなんです。なんで今頃っていうことですが、この日の体験イメージがよみがえってきて仕方がないんです。
ぼくはこの日は飯田橋でした。これも判るひとには判る。事件としてもうひとつの歴史にのこされているんだろうかどうかは判りませんが、その日の夜は其処にいて、なお逮捕を免れたひとなんです。写真家森山大道氏の雑誌ファイルを見ていたら、その日の写真があった。もちろんその写真は新宿の記録でいまや記憶の像なんだけど。
昨日は「状況」(最近購読しはじめました)2004.3月号に「ショート・ホープ」という名のもとで、という論文があって、なにげなく見たらPROVOKEと中平卓馬氏のその後、政治潮流との絡みで論じられていました。ぼくにはわかりにくい概略でしたが、ぼくとしても昨年から「1968問題」という言葉で問題提起化していて、写真史のレクチャーにも取り上げたところです。もちろん現時点においても感心ごとの中心です。でも何かしらむなしい気分があるんです。写真界でも昨年はブームのように特集が組まれたり(美術手帳2003.4)PROVOKEのリプリントが出版されたりして、それ以降の世代のひとたちが熱心に見ている。
要は1968をいまにつなげる回路をさがしているんです。いや未来をみつけだす手段としてそこを起点にしようとしている。綜合文化研究のハードコアな側面としてぼくはこの問題を受け止めているんですが、論理ではなく、あらたな実践としてどのように組み立てていくのかということなんです。
大状況としての政治・国際政治にコミットする?なんていう時代状況じゃないし、うねりとしてのムーブメントに成熟していくような社会環境でもないし、けっきょくは個人がひそかに抵抗していくしかないのかな。
それにしてもむなしい気分が充満しています。

2004.2.29(日)
今日は朝からホームページの作りこみ作業に没頭してしまってます。作り始めるといろいろと欲が出てきて、あれもこれもと増やしてしまって、ついに3年前に企画した「フリースクール」や2年前の「コミュニティカフェ&プレス」企画やらが出てきて、それらも統合して大きな構想をつくってやろ〜と思ってます。
これから先30年構想と自分では考えているのだけれど、どこから手をつけていこうか。最初にあい写真学校が実現しそうですね。生徒が集まるか集まらないかは置いておいても、フォーマットを作ることで、つぎの学校の枠組みが創れる。
写真を何枚か掲載しました。食べ物の写真ですね。やっぱり、食べること優先です。パンの材料と出来上がりのパンの写真です。そのうちにパン読本を作ろうと思っています。
先日、京都で鶏ウイルス発生のニュースがありました。いまぼくの手元に届く鶏卵は「エコファーム丹波」という業者さんが生産している卵です。6個250円かな四葉連絡会経由で届けてもらってるんですへど、周辺30キロの業者は出荷停止だそうで、どうなるのかな〜、自家肥料の地鶏の卵なんですけどね。
人間これまでさんざん自然環境を痛めつけてきたし、生命までコントロールできるようになって、迫害された生命の猛反撃に遭ってるって感じですね。

2004.2.8(日)
今日は朝から天気がよかったのでちょっと外出、といっても白梅町の本屋さんへ行ったのです。そろそろ「現代農業」が並んでいるかな〜って思いながら訪問しました。3月号は「生命の水」っていう特集を組んでいます。
そうして月刊本のコーナーをみたら、「文学界」があって、その表紙に柄谷行人「帝国とネーションー序説」なんてのが刷ってあったからわけもなく買いました。受賞記念で綿矢りささんの対談も載っている。
ちょうど今ぼくは、綜合文化研究所なるもののホームページを作っていて、一昨日、コンセプト書きをしていたところでした。その指向する枠組みの根底のところが「国家・国民・貨幣」という仕組みをどう乗り越えるのか、というのが夢想のなかに現れていて、それを実践でやっていこうとして、この綜合文化研究所を立ち上げているんです。実はね。
柄谷さん、たぶんこのプロジェクトの理論を創ってくれたはるのやろな、と思います。ぼくは学者先生じゃないから実践しかできないんですが、なんかクロスしてるなーって感じです。
で、ニュースとしてはですね。この春に減反で草ぼうぼうの田んぼを一枚借りてですね、農作物を作ろうとしてるんです。彼女となにを創るのがええやろね、って相談してます。ぼくとしては、そりゃ主食となるものですよね。小麦なんてつくりたいけど(これはいまパンつくりをやってるからですが)ちょrっと無理目なので、豆類かな、大豆とか・・・・ってとこです。

2004.2.3
通信制の写真学校を創ろうと思ってプログラムを作ったのは昨年の夏、諸般の理由で中断していましたが、最近、これからの展開の中で、もうやるしかないなー、と思って1月30日から創りかかっています。
実はこのホームページで創っている綜合文化研究所なるものも、2001年8月に原案が作成されたものです。2年間の時間経過があって、再びこのホームページ領域で形を作って行きたいと思うようになったのです。実践活動に入る前にホームページ作りです。
2002年6月、これまであったぼくの周りの環境を一変させました。フリーとして出発しようと思ったのです。それから1年あまりたってようやくぼくに気力が沸いてきたのでした。写真を撮ることも再開(これは20年ぶり)しました。
昨日、ソローの「森の生活」っていう文庫本を手元に置きました。3年ほど前にざっと読んだのですが、なんか懐かしくなってきて、再読しようかなーなんて思い出したのです。といいながら朝からパン焼きの作業とホームページ作成に明け暮れています。

2004.1.20
朝からホームページの作成作業に没頭しています。これから「山と都会の生活」レポートと名づけて、思いつくまま痕跡を残していこうかな〜って思ってるんです。ふた昔前、ワープロが手元にやってきたころ「フォトハウス」っていう企画をやりだしました。そのころのことを思い出しながら、再び、その延長線でやっていこうかな、と思っています。何もかもぼくの中では循環しています。といいながらぼくは1946年生まれだから今年58歳になります。TOM(東松照明)のあのころの年齢なんだなって思ってしまします。まあ、これから過去と未来と織り交ぜていろいろと話をしていくことにするかな〜


最初です






しらん


みなえし


いかりそう


なのはな


ふじ


いちご


ひめしゃが


なのはな


だいこんのはな


しばざくら


みやこわすれ


まーがれっと


ゆきのした


ばら


ちゃいぶ


さつきばい


ななしはな


ほおづき


しゅうかいどう


ひがんばな


しもつけ


あじさい


ほととぎす


まゆみ


まゆみ

取材地:石川県金沢市車町
撮影:nakagawa shigeo



ギャラリー
中川せんせ写真展


山の生活物語
2003〜2006

山の生活物語
-野花の章-


2003年10に始まる山の生活物語。
ここは2006年4月までの写真があります。
-野花の章-&山と都会のレポート 2004
2006.5.8 nakagawa shigeo


ツイート


中川繁夫HP

ここは山の生活物語です





表紙目次に戻ります








山の生活物語-野花の章- スライドショー 27点