写真集<はな>2004





























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写真集 山の生活物語

2013.2.18 最新更新日2020.9.15

写真集<はな>2004


























ギャラリー案内

中川せんせ撮影による「山の生活物語」です。
取材は2003年秋から2006年春まで、四季折々に記録しました。
写真集「山の生活物語」を第一期作品としてここにまとめます。
なお、それ以後にも追録しております。

nakagawa shigeo 2006.7.13〜2009.10.1

中川せんせ写真集

山 の 生 活 物 語
山の生活物語
2003〜2007 追録2008〜
   <エッセイ>

なだらかな山間の家へ、二泊三日で月に2回程度往復するようになって10年の歳月が過ぎました。いま、2006年7月です。2003年の秋にデジタルカメラを買い求め、山の生活周辺を撮りだして、およそ三年近くになりました。

それらの日々に撮影した写真を、10ブロックに分けて、ここに写真集「山の生活物語」を編集しました。若干のエッセイ風文章を織り混ぜながら、写真は淡々と記録したものそのままに、使用しています。

カメラはキャノンのパワーショットS50です。
パソコン(FUJITSU-FMV-CE50E7)に取り込んだ画像を縮小しただけで、ノートリミングで加工ソフトを使わない、そのままの画像(写真)です。


今年ボクは60歳になりました。いまは定職につかず、気儘な文筆活動と写真撮影&編集に、それらの時間を費やしています。この3年間のボクの想いも紆余曲折してきた感がありますが、ここに表した写真群は、心の変遷というより、ぞこにあった事物の状態を記録し、判りやすくて、ごくごく親しみやすいのことを、忠実に再現していこうとの試みています。

撮影の現場は、自己所有の土地・家屋の中で、そこにある事物、およびそこから見える光景を記録したものです。ここに「山の生活物語」と名づけた写真集を、ホームページ上にて発表します。

     
2006年7月13日 nakagawa shigeo

山と街の生活がクロスしながら日々過ぎて、2005年11月となっています。
今年は山へ赴く日々が少なくなりました。
諸般の理由があるわけですが、新しい生活のなかで生まれてきた人ほ人との関係が広がってきました。
写真学校を立ち上げ、びわこほっとに関係し、京都農塾も2年目となりました。

過去のしがらみと手を切って、新しい関係の方へと進みつつあります。
妻はあいかわらず忙しく働いておりますし、孫5人、上が小学校にあがりました。
家族と共にあることで、自分の身が安定していると、感謝しなければいけません。
   2005年11月 nakagawa shigeo

これはぼくたちの生活図鑑です。
ぼくたちの「山の生活」は1994年8月から始まりました。
早くも10年が経ち、いまは2004年3月です。
ぼくはこの風景で自給自足生活を夢見ながら写真を撮っていこうと思っています。。
2003年10月24日ぼくはデジタルカメラを手にしました。
これからの日々に生起する生の営みを写真と文章でもって観察していこうと思っています。

    2004年3月10日 nakagawa shigeo


<山の生活ということについて>

3年ほど前にヘンリー・D・ソロー「森の生活」という本を読みました。1854年に書かれた本ですが、それから150年の歳月が経ってもなお新鮮な内容なのです。1854年というと写真が発明された当時です。アメリカ大陸のボストン近郊コンコードの町に近いウオールデン池のほとりに、ソローは自ら建てた小屋で2年3ヶ月、独りで日々を過ごしたといいます。

ぼくの写真への回帰と自然への回帰は、物質文明のとりこになっていたところからの脱皮と位置づけています。21世紀に入っての2001年9月11日、ニューヨークで衝撃的な事件が起こりました。ちょうどぼくたちの家族がグアムへ旅行する前日の夜に起こった出来事です。
そのころぼくはこころ的にもからだ的にもたいへん疲労していたと思っています。「病む」ということについて近代文学が、その中心となるテーマとして取り上げて来たのなら、これからのテーマは「健康」を追求していくこと。

そうなんですね。内面の発見と病むことと告白することのテーマから飛翔して、ぼく自身が体験してきた58年間のなかに起こったことを整理しながら、未来に向けるまなざしを得たい、と思っているのです。

そのころからぼくのなかに「綜合文化研究」というテーマが立ち現れてきました。カルチュラルスタディーズという領域がロンドンを起点に、この島国でも紹介されていました。またNAMというムーブメントも起こってきました。。ぼくはいずれも新しいムーブメントとして捉えていますが、ぼくには頭の中の体操としてしか捉えられませんでした。
頭の体操と同時にからだの体操も必要なことだと思っています。そしてなによりも「感情の領域」をどのようにして表へだしてあげられるのかなんです。そのころトランスパーソナル心理学という領域にも出会いました。自分を超えていく感覚を得たい!!自然と一体になりたい。自然とSEXしたい!!

それまでのぼくの認識は「個」の内面の深〜いところのエロスを感じるためにSEXをすること、それもSMだとかハードコアという場面において成熟していくものかな、との思いもありました。しかし、それを突き抜けていくようなオーラルな感じで、自然への回帰本能が目覚めてきました。これはぼくが肉体的減退を認めて、すでに多少のことでは性的興奮が生じない領域に入ってきたのかもしれないね。この先にあるものは、いかにやすらかに死ぬかというテーマが真実味を帯びて生じています。

自然への回帰は本能です。光を求めるのも本能です。本能に生きることは時代の悪を生きることに繋がりますが、その悪を生きていこうと思っています。あらたなるエクスタシーの領域を確保していくためにも、花のエロスに魅せられていきたいと思っています。
             
nakagawa shigeo 2004.3.10






山の生活物語-序章-
スライドショー32点 所要時間96秒